エゴを淡々と観察する

2020年1月17日

 

はじめに…どんと祭🔥

おはようございます。

5ネコの母、MA-SA(マーサ)順子です。

 

今年は体験談ではなく、より一般論で書けるかなと

思っていましたが、ごめんなさい🙇‍♀️、

どうも……まだ体験談を抜けられないようです。

 

それでも、今回の記事はエゴを観察するという

大きな課題を取り上げたいと思っています。

 

この路線を進めていくと、

「悟り」への入り口に行き着きそうです。

「悟り」までは、まだまだ手が届かないと思っていましたが

もしかすると、気がつけばどなたの目の前にも、

その入り口があるのかもしれません。

 

 

さて、今日14日は、私の住む仙台市では

「どんと祭」と言う小正月行事が行われます。

名称は異なっても、似たような行事が各地にあると聞きます。

神社境内などで正月飾りを焼き、御神火にあたることで一年の無病息災・家内安全を祈願する。特に宮城県内各地の神社で盛んに行われており、仙台市大崎八幡宮の「松焚祭」(まつたきまつり)が宮城県最大規模である。……

ウィキペディアより

 

特に夜には多くの人出があって、賑わいます。

私もお正月飾りなどを持って、氏神さまにお参りに。

仙台市青葉区の大崎八幡宮では、裸参りが恒例で、

ローカル番組などで観るだけでも、震えが来ます😆。

 

下は、2年前の氏神様での「どんと祭」の時の写真です。

 

 

 

2年前の今ごろの「恐怖」

2年前のどんと祭の日は、

「不安と恐怖」で渦巻いていた時期でした。

言わば、

現実という幻想に、ドップリはまって苦しんでいたわけです。

 

それは、

母の容体が思わしくないのに、制度的な事情で病院を出て

介護付き老人ホームへ移らなければならなかったためでした。

適切なホームはすぐには見つかりませんし、

見つかった所はとても高額でした。

 

絶体絶命と思って日々過ごしていたことを思い出します。

 

入ってみたら、「介護付き」とは名ばかりで、

むしろ「嘘付き」老人ホームでした。とんでもなかったです。

 

私の「絶体絶命」感が、しっかり現実化していたわけです。

 

そこは新設のホームでした。

設備やパンフレットだけ立派だけど、施設長もケアマネジャーも

名ばかりで業務内容を把握しておらず頼りにならず、

介護士さんたちも、即席スタッフをかき集めたばかり。

 

入所者は、大変過酷な状態で(書くとダメージがキツい)、

放置される場面が多かったです。

 

ホーム側は、私の母には

娘の私が苦情を言うので、後手後手でも対応したのです。

何も言わない家族や面会の少ない家族などであれば、

日々のズサンな様子は見えなかったでしょう。

 

とは言え、介護の現場を垣間見て現実の厳しさや

介護士のご苦労も知り、

その意味では学びになりました(←エゴの意味づけ作業💦)。

 

国に言いたいことですが、

介護士という仕事には見合う報酬が与えられ、

専門職として養成もされ、

敬意を示される職業であってほしいです。

 

 

 

今、解放中の「恐怖」とは

今年は、別な「不安と恐怖」が、このタイミングで

目の前に現れました。

何度も書いていますが、あの三毛猫が入院、

明日は手術ということになったのです。

 

 

まだ若いのに、三毛猫は死ぬんじゃないか…という恐怖の感情が

ここ数日、襲ってきていて、時に涙がとめどなく流れます。

感情の表出さえ、普段の私には無かったことで、

オロオロします。

 

その恐怖、オロオロを感じているのは自我(エゴ)です。

エゴの恐怖感に怯えてしまうと、2年前と同じになります。

 

去年からカルマ(ネガティブ意識)の解放をし続け

シフトを進めているので、

不安や恐怖にドップリ浸りジタバタするという、同じ失敗は

繰り返さないよう意識しています。

 

 

今回は、エゴの叫びに同調せず、

外側からその「恐怖」を観察します。

その「恐怖」に怯えているらしい「エゴ」をも観察します。

 

客観的に見る……のでもありません。

客観・主観という二元的ベッタリ感ではなく、

ただ単に、エゴが叫ぶ様子を淡々と観察するだけです。

 

ああエゴったら、怖い、不安だ、と言っているな…なるほど。

という感じで終わり。

怖さを解決する対処法を探すことも、しません。

観察して解放していきます。

 

エゴの声は、

もう一人の自分、“ 真の自分”  には影響を与えないのです。

そこをただ見ているだけの

もう一人の “真の自分” とは、誰なのでしょう?

 

それは、おそらく

私に一番近いところにいてくれるハイヤーセルフです。

(※ハイヤーセルフにも階層があるので。)

2年前と大きく違うのは、

ハイヤーセルフと一体になる体験を、し始めたことです。

 

 

 

エゴなき静かな確信へ

以上は私の体験談ですが、

多くの方々にも同じように言えるだろうと思います。

 

エゴは人生における悩み苦しみが好きで、

その対処法を思考するのも好きで、

思考がグルグル🌀🌀回り始めると

エゴは、実は愉快になります(〃ω〃)

 

「ああ、これでこそ、生きている感じがする!」というか。

エゴは、良きも悪きも、刺激という感覚が大好きなのですね。

だからこそ、確かにエゴの努力により

この人生を何とか生きて来られたとも、言えると思います。

 

しかし、シフトを続けてきた皆さまであれば、

現実に何かあって悩み苦しみそうになっても、

エゴにはもう同調せず、

ハイヤーセルフの導きの流れに任せる段階ですよね。

 

思考がイコール自分自身ではありません。

思考の外に出ることです。

つまり、ハイヤーセルフの声を、

よく言われる「ハートの声を」聞こうということですね。

 

ハイヤーからの閃めきを待ち、そこに従うと言いますか、

ハイヤーにお任せで、流れに従うとも言えますね。

 

ただ、感覚としては、

エゴを嫌って「排除する」のではありません。

恐怖を持っている自分…として、「受け入れる」感覚です。

 

いずれ、ハイヤーとエゴは、統合の道たどるのかなぁと

思っています。

 

 

ハイヤーセルフの声を聞く?……何をいまさら( *`ω´)!

「そんなの分かっています、やってます」という方々も

たくさんいらっしゃるかと思いますが、

ついつい、体験と絡めてお話ししたくなったのでした。

 

 

今日も最後までお読みくださって、ありがとうございました。

皆さまも、

ハイヤーセルフと共に、豊かな霊流の流れを進んでくださいね🌷。