私が考える「解放」とは④

2020年11月4日

はじめに

こんにちは。ガブリエル・クロです。

記事の更新が遅れまして、申し訳ないです。

 

さて今回も「解放」とは何か、ということがテーマで、

前記事までの続きとなります。

 

解放、解放…と聞きますが、

「解放」ってなに?ということから書き始めたシリーズ、

4回目です。

 

前回までの数回で、「解放」のステップとして、

第1に「出来事を俯瞰する」視点を得ること

第2に「感情の浄化をする」こと、

第3に「自分の感覚を大事にする、自分を愛する」こと

について述べました。

 

今回は解放の第4のステップとして、

「思考グセから離れること」について書こうと思います。

 

私たちはネガティブが大好き?

最近、新たに思ったのですが、「解放」の今世的な意味として

「恐怖・不安からの解放」という視点もあるなあと。

そのことにより、あれほどまでに欲しかった

精神的な「自由」という境地に至るのではないかと思います。

 

なのに私たちの多くは、

「恐怖・不安」を後生大事に抱えて生きているだけでなく、

それらを日々追い求めて、強化しています。

 

なぜかネガティブな情報にばかり関心が向き、

ついついネガティブな感情や思考をめぐらして、

ついついネガティブな発信(発話で、SNSで、直接間接に)を

してしまう。日々熱心に…です。

 

私たちの多くは、みずから進んで

不自由な状態に身を置きたいのかもしれません。

このままですと、またカルマを溜め込み、魂もくすみ続けます。

 

それでもネガティブを求め、共感・意識し続ける私たち。

ネガティブを愛しているかのようです。

本当は、おそらく変化が怖いだけなのでしょうけれど、

私たちは不思議な生き物ですよね。

ここにも「ネガティブな思考グセ」が関わっているように思います。

思考の罠

前記事では、人間の全体像としては分離できない

「思考と感情」という精神活動のうち、

「感情」を抜き出し、その浄化の大切さについて書きました。

今回は、誰もが悩まされる「思考」の罠について、まず考えます。

 

人間は、カウントの仕方にもよりますが、

1日に60,000回も思考を働かせているとも言われています。

しかしその思考は、ほとんどが間違った「思い込み」や

有益ではない「ネガティブな信念」と呼ばれるものです。

 

特に困難に陥った時に、はっきり現れますが

人間は、過去の出来事の否定的な面を思い出し、

「自分はこのパターンで失敗するんだ」というような

思い込み、ネガティブな信念を作りがちです。

 

一例ですが、

「そんなことやってたら、流れに乗れないよ」とか。

「いいの、それで⁉︎  またしくじるかも知れないよ!」とか。

「以前と同じように、うまく行かなかったら、どうしよう」とか。

 

過去の体験からの、嫌な感情とセットで

また失敗するかも知れないという「思い込み」が現れます。

 

また、目の前の出来事を見ていたのに、何かの連想で

過去の出来事(好ましくない出来事)を思い出し、

気を取られ、注意散漫になり

目の前のことに集中できないことがあったりします。

 

この時も、ネガティブな思い込みに囚われているのです。

皆さまも、同じようなことがお有りではないでしょうか。

 

その思考が役立ってくれるものなら良いのですが、

しかしそれは、本当にご自分を幸せな方向に導くとは限らず、

むしろ望ましくない方向に働くことが多いです。

 

先ほども書きましたが、人間は

過去の出来事の否定的な面で、思い込みを作りがちなためです。

 

思考は、同じループの中に行動を押し込めて合理化し、

それで安心するところがあります。変化が怖いのです。

そこが罠とも言えるわけです。

 

ここからは「意識」の世界の話も入ります。

困った状況に陥った時、

私たちは、ネガティブな方向で考えないことが良いからと

無理やりポジティブに発想することがあります。

いわゆるポジティブ・シンキング、ですね。

 

「このまま続けたらきっと失敗する。ではどうしたらいいか?」

「明るい考え方で対処しよう!」などと考えるわけです。

 

しかしこれは、あまりうまくいかないことが多いのです。

なぜなら、現実は、過去に自分が描いた思考と感情の結果なので

過去の産物に働きかけても、同じ路線で動く列車のように、

次々と同じような景色(現実)ばかりが流れるからです。

 

また、目の前の現実ばかりを観て対処すると、

思考を超えた「大いなる閃めき」の入る余地がないから

ということもあります。

 

意識の力を、良いイメージ、心地よさの感情を使いながら

次の現実(未来)に働きかける方が、成果が現れます。

 

次の現実をイメージする余裕さえ奪う、

そのような思考の罠にハマり、思考がぐるぐる回り始める体験を

味わったこともお有りでしょうか。

アレは、本当に困ってしまいますよね…🌀🌀

❹役立たない思考をどう扱うか?

   (❹は、前記事からの通し番号でもあります🙇‍♀️)

 

そんな時、つまり思考がぐるぐる回り始めた時は、

良い考えが出てくる状態ではないから「寝たほうがいい」

とおっしゃる方もいて、私も納得しています。

それは、思考を強制的に止められるからです。

 

そんな、眠ることができない状況の場合も

荒ぶる「思考」を、次のように「かわす・逸らす」ことができます。

 

まずは、「その考え、今は要らないです! 後で考えます!

というスルー方式。とりあえず、お預けです!

(後で考えますと言っても、生真面目に考えなくてイイんですよ😬)

 

もう一つ、簡単なようで難しいのですが、

思考に囚われているご自分を、淡々と眺めることです。

 

「ああ、今、こんなネガティブな思い込みに囚われているなあ。」

そこに気づけば、思考の担当者のエゴの働きは、鈍くなります。

エゴは気づかれないままで働く時、最大の力を発揮しますので。

 

これは「思考の観察」でもあり「エゴの観察」でもあります。

これができると、スッキリとした精神状態になれますが、

けっこう難しいです。生き方の達人の境地かもしれません。

 

なのでまずは、軽い深呼吸とともに「後で考えますから!」と

スルーなさることをお勧めします☺️。

コントロールではなく客観視でもなく

思考も感情も、かなりの程度に「暴れ馬」だったりします。

ですから、これらを「コントロールする」という考え方を

しばしば耳にします。

しかし私は、「コントロール」と言ってしまうのは違うのではないか?

と思っています。

 

荒ぶる思考・感情を穏やかな状態に治めるのは、むしろ

私たちが元々持っていた真っすぐな精神性を「取り戻す」、

ということではないか?と思うのです。

 

また、よく「荒ぶる思考・感情」に巻き込まれないように、

その原因となるつまり現実を「客観視しましょう」という考え方も、

耳にします。これもちょっと違う気がしています。

 

現実を客観的に見ようとしても、見ているのはエゴの主観です。

ほとんど言葉遊びのようですが、

エゴが見ている現実は、主観的な像でしかありません。

認識しない限り、現実も世界も存在しないのです。

 

ですから現実は「客観・主観」の関係に存在するのではなく、

エゴの幻想として映っているものが現実です。

 

むしろよいのは、現実にハマり込まないで俯瞰すること、

自分は現実の外側にいるという視点、ではないかと。

過去記事、第1ステップで書いたことと繋がります。

(何かややこしくて、分かりにくいですね。申し訳ないです。)

 

思考・感情の荒れからの「解放」のためには、

人間にせっかく備わっている意識の力を使って、

「コントロール」とか「客観視」などで矮小化しないで

望ましい現実(未来)を創り出したいものだと思います。

 

今回の記事は、ここまでにします。

次回、「解放」の話をもう少し続けて、まとめようと思います。

 

🍁 最後までお読みくださいまして、

       誠にありがとうございました。🍁