旅立つ人のために できること

2020年1月9日

 

 

今回は、死に関する話題なので、

抵抗感がある方は スルーなさってくださいね。

 

ある お通夜で 考えたこと

先日、近所に住む 90代の男性が亡くなられました。

同級生のお父さんということで、お通夜に参列してきました。

同級生とはいっても異性であり

1年生の時、一緒に学校に通った記憶がある程度で、

その後は互いにどうなったか分からない状態で、

現在に至っています。

 

 

斎場に入ってみると、

つつましやかな葬儀であることがわかりました。

つつましいことは、好ましく思います。

昨年春、母を見送った経験から、

現代の葬儀のあり方について疑問があるからです。

 

まずお寺さんに戒名をいただき、

枕経、お通夜と葬儀の読経、

その他いろいろと、お金の問題が絡みます。

葬儀に何百万もかかるのは尋常な話ではないのに、

地域的にも違いがあるかもしれませんが、

かなり一般的に行われています。

 

また 宗教観の問題、死生観の問題、墓守の問題、

その他もろもろ、

家ごとに、個人ごとに、考え方が違うという事情もあります。

 

同級生のお父さんのご葬儀は、その意味でとても参考になりました。

お坊さんが来ません。戒名がありません。お位牌も本名です。

いいですね。これでいいんだと思います。

 

戒名がないと極楽浄土にいけない?  うそでしょう。

しかも戒名は、お金によってランクが決まるわけです。

仏教の教え自体には 心惹かれるものが多くありますが、

葬式仏教は、いつまでこんなことを続けるのでしょう。

 

 

話を戻し、お通夜の流れです。

お父様の略歴が、葬祭担当者によって 語られました。

ご家族の意向があったと思いますが、温かみのあるエピソードを交えての

故人の人生を振り返る お話でした。

 

お焼香の後、すぐに喪主の挨拶。同級生の男性が 喪主です。

 

話によれば、昨年晩秋にお母様が旅立たれ、

その後 お父様がお一人で暮らしていたそうで、

日々 ご心配はあったことでしょう。

毎日のように姉弟で 交代にお父さんのところに見えられて

お世話をなさっていたそうです。

 

杖も使わず、シャンシャンと歩くお父様だったとのこと。

しかし亡くなられる数日前、お父様は道路で転倒してしまいました。

救急車で運ばれ、

かなりの出血があったとのことですが回復なさり、

帰宅もでき、亡くなられる前日も

食事を一緒に摂ることができたのだそうです。

 

きっと同級生は、この時 安堵したことだと思います。

なのに次の朝、お父様は思いがけず 旅立っていかれました。

 

 

同級生は、あいさつを こんな言葉で締めくくりました。

「父は、亡き母に、急に会いたくなったのだと思います。」

見ると、還暦過ぎの男性なのに 涙ぐんでいらっしゃいます。

思わず私ももらい泣きしました。

 

形式ばった事は何もなく、あっさりと終わったお通夜でしたが、

故人を偲ぶことが優先で、良いご葬儀だと思いました。

 

 

魂は死のタイミングを知っている

以下は、聞いた話ですから真実かどうかは分かりません。

しかし 母が旅立つ際も 同じような感触を持ちましたので、

何かの参考にと思い、書かせていただきます。

 

人は亡くなる時期を決めている、と聞きます。

人生で数回、そのようなタイミングがあるそうです。

しかしその時々に、自分の魂と相談し、今の時期は選ばない…

などと、いくつかのタイミングを通り越しながら生き延びます。

ある時、

今回こそ 今世の旅立ちだと決める、まさに その時がやってくるそうです。

 

 

私の母も、半寝たきりの介護の段階ではありましたが、

まだ元気そうに見えた頃、こんなことを言いました。

「私が死んだら、あの鏡台の引き出しに大事なものが入っているから、それを見てね。」

またある時は、「なんだかもうすぐ死にそうな気がする。」

などとも言っていました。

 

しかし、どちらの時も、私は

「こんなにたくさんご飯を食べる人が、死ぬわけないでしょう (笑) 」

と答えてしまいました。

母本人も、そうだね…と笑って答えました。

 

しかし、あの発言の時が

母の魂が 旅立つ覚悟を決めたサインだったようです。

 

それから2ヶ月ほど経って、意識が失われる事態に落ち入り、

数ヶ月の闘病の後、逝ってしまいました。

私が 強力に引き留めたので、数ヶ月を必死の粘りで 生きてくれた母でした。

気持ちの強い女性でしたが、最期まで強かったと思います。

 

 

旅立つ大事な人のために できること

まだまだ生きていてほしいとの思いから、母には

「何言ってるの、まだまだ元気でしょう」などと、

茶化すような言葉を発しましたが、

今となっては あの言葉をきちんと受け止めて、

違うことを話題にすればよかったなぁと思います。

 

それは、その人の人生を一緒に振り返りながら 思い出話をすること。

あれは よかったね、それは 悲しかったね、などと共感しながらです。

また、肉体が失われた後でも魂は存続するという話、

亡くなった後どのように魂が浄化していくのか、という話などなどです。

 

このような話題によって、亡き後の魂は、スムーズに

行くべきところ(アストラル界、さらに霊界)への移行が

できるらしいのです。

 

私のわずかな読書歴で申しますと、

矢作直樹さんの「人は死なない」というご著書や

サアラさんの「あの世の本当のしくみ」というご著書などは、

魂の不滅についてわかりやすく知らせてくれる良書ですが、

そういう知識もなければ、家族としては、まだまだ元気で生きていてね、と

無理な要求をしてしまいがちですね。

 

この世を旅立とうとする魂にとっては、

無理難題を突きつけるのは気の毒でした。

母には、叱咤激励のようなことを言ってしまったと申し訳なく思います。

 

 

さて同級生のお父様の話に戻りますと、

道路で転倒なさった時が、ご自分の魂が決めた

旅立ちのタイミングだったのでしょう。

 

数日後の朝、急逝なさったと言うことで、同級生は

息子として至らなかったのではないかと悔やんでいるようでした。

 

しかし、決してそうではないですよ、

一緒に過ごせてご飯も食べて、お父様は嬉しかったはずですよ、

その翌日 旅立つ計画を、お父様の魂は立てていたのだと思いますよ、

粋な計らいで、家族と過ごす数日間の猶予を

お父様の魂は 与えてくれたのではないでしょうか・・・

親しければ、そんな言葉をかけたいなと思ったのでした。

 

そこまで申し上げる場もなく時間もなく、帰宅しました。

同級生のお父様のご冥福を お祈りするばかりです。

 

 

まとめ…旅立つ側、見送る側、ともに大切なこと

大事な人が 亡くなる前に、あるいは息を引き取る前に、

ともに人生を振り返る話をして、

良い人生だったと確認させてあげましょう。

 

話ができない状態であっても

耳元で懐かしい話を聞かせたり、

感謝の言葉をささやいたり、

あの世は怖くないんだよと聞かせたり……

して差し上げてほしいのです。

 

それは、旅立つ側にとっても、残された家族にとっても

意味のあることです。

魂は永遠不滅の存在ですが、

肉体の死によってエネルギーの形態が変わるので、

肉体に魂が留まっているうちに、

温かい言葉がけを なさってほしいのです。

 

私の場合は、

「お母さんの子どもで、よかったよ。」

と伝えるので 精いっぱいでした。

 

今も、一緒に人生を振り返る話ができなかったことで、

ちょっとシンミリします。

まあ、今でも魂的に交信できるので、

よしとしましょう。

 

おまけ…おすすめ動画

最後に、ちょっと ご紹介を。

YouTube動画で、皆さんご存知のナオキマンさんの番組がありますよね。

私も好きで、よく視聴します。

「死後の世界?!」という配信がありますが、

死に関して、量子力学的な面から、またスピリチュアル的な面から、

貴重な話題を分かりやすく教えてくれているので

ご興味のある方はご覧くださいね。

 

今日も お読みいただきまして、

ありがとうございました♡