エゴの暴走、どうしよう…?
はじめに
こんばんは。ガブリエル ・クロです。
突然ですが、
皆さまは、エゴが騒ぎ出したり、泣きわめいたり…の時、
つまり…暴走した時、どう対応なさっていますか?
一昨日のことですが、
珍しく感情がゆれて、泣けてくる出来事がありました。
「ああ、エゴが不安がっているんだなあ」と。
その時のことを書こうと思います。
過去世の古傷
“エゴの暴走” は、
目の前の現実に刺激されて起きるように、見えますが
実際には、もっとややこしい気がしています。
そこには、輪廻により過去世から受け継いでしまった
カルマ(ネガティブ意識)が絡んでいます。
例えれば、古傷が刺激されてうずくような。
一例ですが、怒りのカルマがある人の場合などは、
他人から見ても分かりやすいです。
外側の何を見ても、自分の中の怒りが触発されるようで、
はたから見ると何故ここまで?という怒り方を
してしまうことがあります。
きっと過去世でそこを解決できていなかったため、
今世でも学ぶつもりでカルマとして背負ってきたのでしょう。
そんな時、自分のことなのに自分でも理由も分からず
理不尽に沸いて来るような、
感情の爆発💥が起こります。
それに対して、本人は
どうにか現実的に対処しようと思いがちです。
しかし、古傷を一気にはがすと
また新しい傷となり、血がにじんだりしますよね。
そこを覚悟してはがすのも、お好みしだいですが(〃ω〃)
無理なくできることは、それと戦いもせず、無視もせず。
言い分を聞いて抱きしめることが良いのではないかな?
と思っています。
エゴは嫌わないでください。
私の理解では、ちょっと前までは、エゴって
いろいろヤッてくれる困った存在としての位置づけでした。
しかし、
人間の脳の特徴として認識するためには
個別に分ける方が都合がいいので
便宜上、ハイヤーセルフ(真我)と対峙させていますが、
エゴもハイヤーも同時に“ 自分自身” なのですよね。
自分自身の一部であるエゴを、
「こいつ、また何かヤらかす気か?」などのように
毛嫌いして撥ねつけては、まずいのです。
出てきた感情の爆発は、ここに問題があるよという
お知らせになっているのです。
かく言う私も、分かっちゃいたけど、再確認でした😅
そんなことで以下は、
エゴの暴走に落ち着いて対応できた体験談、
いつも体験談ばかりで、恐縮です🙏
急に起きた“不安”
その日は夕方、近所のスーパーに買い物に行きました。
店の入り口に、お盆用品が並んでいました。
私の住んでいる地域は、
お盆行事は旧暦(8月13日〜16日)というのが一般的です。
「そうか、もうこの時期だったか…
なんて早い、もうすぐ8月だなんて!」
そんなにコロナの影響はなくて済んでいる私ですが、
今年はその件などに気を取られ、
もうすぐお盆だなんてすっかり忘れていました。
その途端、なんでしょう?
急に“不安”のような感情が襲ってきましたが、
無視して、買い物を済ませ帰宅しました。
夕食の用意をし始めました。
ところが、しだいに具合が悪くなって
夕食準備どころではなくなったのです。
「これはダメだ、ご飯など食べなくていいから
猫のご飯だけやって、何もかも放り出して寝ようか?」
そんなことを思い、気分が悪くなって
台所の椅子に腰かけていました。
足元とテーブルの上では、猫たちが
「お腹すいたよ〜、なんか食べたいよ〜😺」と
いつものようにねだっていました。
原因は自分の中にある
幸いにも、
自分を俯瞰(ふかん)して見ることができているので、
「何が私の具合を急に悪くさせたのか?」について
思いおこしてみました。
するとすぐに、あのお盆用品を見た時からの“不安”に
たどり着きました。
私は、ここ何年もの間、亡き両親の供養に
生活の重要な関心を向けて生きていたのです。
それほど仲が良くなかったのに……です。
これは、過去世から持ち越してきた
“ 罪悪感” というカルマの解放との関係があって、
みずから設定した体験だと思っています。
どうも、コロナ騒動の中、また他の事情もあって、
この夏のお盆は例年のようにはできない気がして
一気に“不安”になったようでした。
「どうしよう…。
長く愛着ある習慣を、ここで変えざるを得ないのか?
自分が不甲斐ないせいかな、両親に申し訳ないな」
など、しみじみと悲しくなって、
自分でもビックリしたのですが、嗚咽し始めました。
えーー?
嗚咽だよ、これ?
何やってんだよ、こんなことでー?
一方で冷静に見ている自分もいました。
その自分とは「真我」なのだろうかと思いました。
自分で自分を温める
実は、昨年も、暴走エゴ対応の大きな山場がありました。
その頃、エゴは
これも過去世から持ち越してしまった大きなカルマの
“ 死にたいと感じる癖” を、しばしば発揮していました。
※ (過去世で自死体験があったことが、
細胞にまで記憶されているようです😢。)
その言い分をよく聞き、
言いたいだけ言っていいよ…と外側から眺めていました。
「だって、生きていたってしょうがないじゃない!」
とまで言いだしたタイミングで、
そっと抱きしめ、抱きとめて……温めてやって、
静かに納得させられた体験がありました。
それを思い出し、今回もまたそれだな…と、
エゴの嘆きに耳を傾け、言い分をよく聞くことに。
いろいろな“不安”を、そうかそうか、と受け止めます。
ひと通り吐き出させたあと、もうひとりの自分が
「それは思い込みであって真実ではないよ。今世は大丈夫。」
などと語るのです。
一種のイメージワークですね。
泣いている自分を、もうひとりの自分が抱きしめる。
抱きとめる、抱き抱える、じゅうぶんに温めてやる。
そのうちに、何か
エゴの不安が溶けていく感覚がありました。
それを行なっていたのは、しかし数分だったかと思います。
以前より慣れてきたようで、スムーズでした😌
その後、私はすっかり元気になって夕食準備ができ、
食事もしていつも通りに夜の家事、勉強その他もでき、
「やっぱりそれが具合悪くなった原因だったんだな」と納得。
穏やかな気分で寝むことができました。
まずは、めでたし、めでたしでした^^
答えも自分の中にある
エゴは厄介者ではなく、
いろいろがんばって、現実生活に対処しています。
エゴも私、ハイヤーも私。
どちらかだけで、生きているわけではないのですよね。
その分離は、条件的に行なっているだけで、
本当は一体です。
ともに認める、丸ごと愛するのが
本当の“自愛”ということかと、改めて感じました。
敵対視すれば、もっと暴走しそうなエゴ。
大事な私の一部。
カルマ背負って表現してくれて、大役だね!
愛しているよと声がけしながら、ねぎらおうと思いました。
そんなことを考えていたら、
急に胸の辺りから発する声が聞こえた気がしました。
真我からの?メッセージのようでした。
あまり言葉数が多くない、
ナゾ解きのようなメッセージでした。
真我曰く、、、
「全部、知っていた」⇄(え、何を知っていたの?)
「全部、知っている」⇄(え、誰が知っているの?)
「これまでのこと、これからのこと…」
「私はもちろん知っていた、
あなたも全部知っていたし、知っている…」
すべて自分の中から発しているから
答えは自分が知っているんだよ、
知っていることが展開しているのだから、
何も心配いらないんだよ、、、と言いたいのかな?
と思いました。
さて、エゴの暴走には、かき回されず俯瞰して言い分を聞き、
温めて受け止める、溶かしてやる、
そんなことも良いかもしれません、という話でした。
さらには真我メッセージによれば、
人生、起きることは、自分のシナリオ通りかも知れません。
よく言われるように、越えられる山だけを“初期設定”して
ここに生まれてきたのかも知れません。
そうだとすれば、すべて、
起きたことをどう受け入れるか、ということでしょうか。
カルマ解放の絡みがあってエゴの暴走は複雑に現れるけど、
だからこそ、どんなドラマよりも人生の方が
ドラマチックとも言えそうです( ̄O ̄;)
ドラマチック、もうたくさん!となった時には、
今日の方法などで受け入れ温め、溶かしてくださいね。
また変な記事になってしまいました〜(*_*)
最後までお読みくださって、ありがとうございました🌻
皆さま、明日からも、どうぞお元気でお過ごしください!
※ 補足……感情のクリアニングは個々人で異なる
スピリチュアル界では、チャネラーさんやヒーラーさんなどが、感情のクリアニングワークなどを教えてくださいます。
私も3年前には、インナーチャイルドの癒しワークを中心に師匠に教えてもらい、自分でも行なってきました。でも、浄化は十分ではなかったのです。
どう考えても、個々人が背負っているネガティブな感情は、その重苦しさ、重大さも個々に違います。あるメソッドでそれが解消できないとしても、それは、あなたが変だ、できていない、おかしいからではありません。それだけ背負っているものが深い、重いからです。
そのメソッドやワークだけでは解消できないのだ、ということを示しているだけです。
ご心配なさらず、ご自分を責めずにね…🙏