自愛から慈愛へ
自分を愛する
元々は、見えない世界とつながっている私たち。
意識的に練習すれば 誰でも さらに 強くつながれます。
(ひとまず 練習、と言っておきます。)
でも何よりまずは、
自分を愛して、大切にして、信頼して、
ネガティブな意識は解放していくのが大切です。
つまり意識を、波動を、上げ続けることです。
つながるため、というのではなく、
“ 魂をみがく”ためです。
ある方は、“ 魂の幅を広げる”
と言う表現をなさっていました。
その結果、つながるという感じです。
能力がほしいがゆえにつながりたい、
メッセージがほしい、という方向性ではないですね。
能力にただただあこがれると、
変なところにつながったりしそうで(-_-;)、要注意です。
『パワーかフォースか』
(デヴィッド・R・ホーキンズ著/エハン・デラヴィ、愛知ソニア訳、2018年に改訳が出ています)に示されている
「意識のエネルギーレベルの図」というのがあります。
それによれば、
「嫌悪(自己嫌悪も含むでしょう)」が最下位になっています。
「罪悪感」でもなく「怒り」でもなく
「嫌悪」が最下位ですって、皆さま😢!
自分を嫌悪するのは、
自分を生み出してくれた宇宙、大いなる源をも嫌悪することに…。
「父ちゃんの バカやろー!!」みたいに。
お父さんを嫌っていながら そことつながりたいなんて、
ムシが良過ぎますよね。
それに、嫌悪の波動が 全身に 満ちてしまったら…?
考えると恐ろしいです。
きっと体も心も病んでしまいそうです。
自分を愛して意識を上げていくように 日々努めることは、
本当に 大切なのです。
いわゆる「自愛」でしょうか。
私には、このところのキーワードでした。
自尊心とも似ているでしょう。
自尊心を傷つける体験を タップリ味わってしまったので、
もうそんな現場からは退散しました。
多分、小学生時代からの自己否定グセ、
つまり自己嫌悪の かすかな燃えカスが残っていて、
そんな体験を引き寄せたと思います。
自我が叫びます。「しまったなー! 」
でも、それさえも貴重な体験だということを
真我(魂)は知っています。
「落ち着け、シナリオ通り、順調だよ。」
今は、自分ひとりでいても 幸せであると感じ、
そんな自分であるから 人と会っていても幸せ、
となる体験を積み重ねています。
疲れる人とは会わないように、そっと離れます。
それについての罪悪感は不要、これも小さな自愛活動です。
また、外氣功の先生にお聞きしたのですが、
血液の意識が 魂意識とかかわっているとのことです。
自分を愛することの中には、
肉体をいたわること、
できるだけ 有害な物質を避け、健やかな肉体を維持することも
含まれます。
今の時代、電磁波・放射能・化学物質などが
生活の中に密接に入り込んでいますから
油断できません。
私も、裸足で歩く機会を取り入れています。
なるべく自然とのつながりを持って 生活するということが、
望ましいようです。
便利な生活に浸ってしまうと、なかなかですね。
それでも、
自分を愛することを 肉体面でも
始めるとよいと思います。
そのことを通して
宇宙というか 大いなる存在というか、
見えない世界とのつながりを
回復していけるようです。
結局は、自愛を 意識と肉体の両面に対して
着手するということですね 。
「たっぷり ご自分を愛してくださいね💗」
ひらめきや予感を キャッチ!
実は私は、前職にあったころは、
唯物論的な考え方に傾倒していました。
唯物論では、意識は物質より下位、二義的なんです。
物質の方が優位です。
「意識は 物質的なものの反映であり、……脳の機能として意識がある」
のですよね(ー ー;)
“ 意識が先だって!?
ひらめきが脳とかかわりなく、どこからか やってくるだって!?
バカ言うんじゃない! そんな考え方、非科学的だ、許せん!”
と思う側にいた人間でした。
ですが、これまで 人生の転機に、
何度もひらめきや予感を感じて 生きてきたことに
気づきました。
良きことも悪いことも、です。
例えば、また母の話で恐縮ですが、
「この人とは長いかかわりになる」と小さい頃に
すでに予感していました。
でも、少し、胸苦しさも 一緒に感じました。
長く共に暮らして
最期まで せっせと看病できましたが、
臨終には立ち会えなかったのです。
母は一人で逝きました。
そこが、私が感じた
胸苦しさの理由だったかもしれません。
※ 確かに感じた、あの予感に、
今となっては驚きを感じています。
また、ここぞという時に、
自分も他人も驚くような
思い切った決断をすることもあるのですが、
そんな時は、直観にしたがっています。
考え込んで結論を出すのではなく、
「これだ!」と ひらめくのです。
こんな体験から、「意識の方が優位」との考え方が、
バカバカしいとは 思えなくなっていきました。
最近では、
時間までも味方してくれる感覚があります。
所用が重なって慌ただしい時に、
まるで、1日が24時間以上あるんじゃないか?
と感じられる日が、数日続きました。
用事が次々 ピタッピタッと解決して、
濃い時間の流れでした。
助かりましたよ~!(^^)!
物理的な時間ではない、
別な時間が 流れたのかもしれません。
時空間を 飛び越えたところから、
ひらめきや予感がやって来ます。
それを、
うまくキャッチできる自分でいたいですよね。
それも、自分を愛して信頼してこそ、
できることです。
モデルは、赤ちゃんや 小さな子どもたちでしょうね👶。
きっと私たちは誰もが 小さな子どもの頃、
当然のように 自愛の中で
ひらめきを感じとりながら 生きていたのでしょう。
ほんとは誰もがスピリチュアル
商業的スピリチュアル界隈の 好ましくない様相を 見て、
批判めいた態度で語る方々もいます。
もっと……いろいろと批判があるのも、
よく分かります。
しかし、それとは別に
実際は誰もがスピリチュアルな、
つまり霊的な存在です。
なぜなら私たちは
魂(霊)が肉体に宿る存在だからです。
(あるいは 魂が肉体を覆っている存在だからです。)
スピリチュアルな世界は
「現象世界に対立してある」ようにとらえがちですが、
実際はトータルな全体像を
別な角度から見たものと言っていいように思います。
見える世界と見えない世界は
「対」になっていると とらえたら
分かりやすいでしょうか。
(もっとふさわしい表現があると思いますが…
ちょっと今は浮かびません🙇♀️。)
全体像を知らず 一部分だけ見るのは、
せっかく生を受けてここにいるのに、
もったいないですよ。
全体像を見ることができれば、
宇宙の叡智、ひらめきを受け取ることに
疑問がなくなり、
より豊かで幸せに生きることが できるからです。
ご自分が望めば、全体像が見える現実が広がります。
見えないと思い込めば、見えない現実が広がります。
ここは、波動の共鳴し合う世界。
時間の経過を経て、思った通りになるからです。
どちらを選ぶのも 自由なんです……。
でも、霊的な存在である自分を受け入れることは、
人生の主役である自分自身に贈る、
最高のプレゼント=愛 だと思うのです。
最高のプレゼントを、
ぜひ ご自身に贈って差し上げてください!
すばらしい存在である私たち
もしかしたら、ご自分を
ちっぽけな存在と思っていらしたかもしれませんね。
でも、私たちは そもそもすばらしい存在です。
地球での体験を味わうために、
波動をわざわざ落としてやってきたと聞きます。
エネルギー調整のために、
そんなことをするのだそうです。
ですから、ここで体験することは、
すべて意味があります。
喜びのみならず、
苦しみでさえ みずから作り出して、
ああ、こんな体験も
エネルギー調整には 効果バツグンだなあ…と。
キャ~やめて〜〜、
喜びの方だけで調整できませんか?
などと思うのですけどね…😶。
不都合な体験でさえ、
わざわざ味わいに来ました。
体験の意味がわからない限り、
似たようなことが
ずっと続くという筋書きを受け入れて。
せっかくですから、バンバン調整しましょう。
分離から統合へ。
それをめざす過程で、たくさんの学びを得ながら
私たちの魂は輝きを増していきます。
そして、一点の輝きが増していくと、
暗かった周囲でさえ 輝きだすのです。
あなたも輝きの源になっては いかがでしょうか。
それこそ、周囲への 慈愛であり 奉仕でしょう。
自愛、そして そこから始まる慈愛、
私たちは、人生を大事に生きたいですね❣️
今日も、お読みくださって、ありがとうございます💛
※ この画像も、長いツイッター友達の 「今ここから」さんから拝借しました。 アヤメでしょうか。きれいですね。